代表 宮下 宏紀 五段練士 医学科2004年卒業
1998年4月に東京医科歯科大学医学部医学科に入学すると共に、同大学躰道部に入部する。
2001年度、2002年度と躰道部主将を務め、2001年には第3回世界躰道選手権大会男子個人
法形競技優勝、団体展開競技日本一、また全日本選手権男子個人法形競技二連覇など、
2001年度〜2003年度を中心に在学中数え切れない実績を残す。2003年度に四段練士の称号
階位を取得する。2004年3月に東京医科歯科大学医学部医学科を卒業し、形成外科医の
道を進む。現在は形成外科界の若手のホープとして、学会でいやが上にも注目を集める
存在である。躰道部とはコーチとして関わり、更に2007年に監督に就任。精力的な部員指導
を行っている。また選手としても在学時と変わらぬ実績を残している。己に克ち、常に妥協
なく上を目指すのが信条であり、2010年湯島道場を設立し、同代表となる。

1999 第33回全国学生大会 個人法形 4位
2000 第23回東京城北地区大会 個人法形 準優勝
  第34回全国学生大会 個人法形 3位
  第34回全日本選手権 個人法形 3位
2001 第24回東京城北地区大会 個人法形 4位
  第12回東京城西地区大会 個人法形
団体実戦
優勝
3位
  第35回全国学生大会 個人法形
団体展開
団体法形
優勝
3位
3位
  第35回全日本選手権 個人法形
団体展開
優勝
優勝
2002 第25回東京城北地区大会 個人法形
団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
優勝
準優勝
3位
  第31回多摩地区大会 個人法形 優勝
  第36回全国学生大会 個人法形
団体展開
団体法形
準優勝
準優勝
準優勝
  第36回全日本選手権 個人法形 優勝
2003 第26回東京城北地区大会 個人法形
団体実戦
団体法形
団体展開
優勝
第4位
第3位
準優勝
  第14回東京城西地区大会 個人実戦
個人法形
団体実戦
優勝
優勝
4位
  第37回全国学生大会 個人法形
団体法形
団体展開
優勝
4位
4位
  第37回全日本躰道選手権 個人法形
団体展開
第3位
第5位
2005 第39回全日本躰道選手権大会 個人法形 準優勝
2006 第40回全日本躰道選手権大会 個人法形 優勝
2007 第41回全日本躰道選手権大会 団体展開 第三位
  第4回神奈川県競技会 団体展開 準優勝
  第30回弘前さくら祭り協賛躰道優勝大会 団体展開 準優勝
2008 第19回東京城西地区躰道優勝大会 団体展開

団体法形

優勝

優勝

  第18回全国社会人大会 個人法形 準優勝
2011 第34回東京城北地区躰道優勝大会 個人法形
団体法形
第3位
準優勝
  第22回東京城西地区躰道優勝大会 団体実戦
団体法形
優勝
優勝
  第7回神奈川県競技会 団体法形
団体展開
優勝
優勝
  第21回全国社会人躰道優勝大会 団体法形 準優勝

副代表 堀内 和一朗 五段練士 医学科2004年卒業
1998年4月に東京医科歯科大学医学部医学科に入学すると共に、同大学躰道部に入部する。
2001年度、2002年度と躰道部副将を務め、2001年には第3回世界躰道選手権大会で個人法形、
団体展開の日本代表として出場、更には団体展開競技で日本一になるなど2001年度〜2003年度に
多くの実績を残す。在学中2003年度に四段練士の称号階位を取得したのは異例のことである。
2004年3月に同大学医学部医学科を卒業し、皮膚科医としての道を歩む。特に専門としている
分野は予防医学、抗加齢医学であり、日本人間ドック学会認定医、日本抗加齢医学会認定抗加齢
専門医、国際レーザー専門医の資格を保持している。躰道部とは卒業後コーチとして関わり、
2007年には監督補に就任。また、在学時と変わらぬパフォーマンスで競技生活を行っている。
2009年にS4/S5、S5/L1の2個所の腰椎椎間板ヘルニアが悪化し、左足が全く動かなくなるという
病状に陥るも、手術と長いリハビリを経て不死鳥のように復活。
2010年、湯島道場を設立し、副代表に就任。更なる躍進を見据えている。

2001 第24回東京城北地区大会 団体法形 準優勝
  第3回世界選手権大会 団体展開 5位
  第35回全国学生大会 団体展開
団体法形
3位
3位
  第35回全日本選手権 団体展開
団体法形
優勝
6位
2002 第25回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
準優勝
3位
  第13回東京城西地区大会 個人実戦 4位
  第36回全国学生大会 団体展開
団体法形
準優勝
準優勝
  第36回全日本選手権大会 団体展開
団体法形
4位
6位
2003 第26回東京城北地区大会 個人実戦
団体実戦
団体法形
団体展開
第4位
第4位
第3位
準優勝
  第32回多摩地区大会 個人法形 第3位
  第14回東京城西地区大会 個人法形
団体実戦
4位
4位
  第37回全国学生大会 団体法形
団体展開
4位
4位
  第37回全日本選手権 団体展開 第5位
2004 東京医科歯科大学卒業
  第15回東京城西地区大会 団体実戦 準優勝
  第14回全国社会人大会 団体法形 優勝
2007 第4回神奈川県競技会 団体展開
団体実戦
準優勝
優勝
  第30回弘前さくら祭り協賛躰道優勝大会 団体展開 準優勝
2008  第19回東京城西地区躰道優勝大会 団体展開
団体法形
優勝
優勝
  第18回全国社会人大会 団体実戦 準優勝
2010 第33回東京城北地区躰道優勝大会 団体展開 第3位
2011 第34回東京城北地区躰道優勝大会 団体法形 準優勝
  第22回東京城西地区躰道優勝大会 団体実戦
団体法形
優勝
優勝
  第7回神奈川県競技会 団体実戦
団体法形
団体展開
優勝
優勝
優勝
事務局長 塩崎 智彦 参段 歯学科1994年卒業
1988年4月、東京医科歯科大学歯学部歯学科に入学すると共に、同大学躰道部に入部する。
恵まれた運動神経と弛まぬ努力により、1991年度〜1993年度の全国学生躰道優勝大会で、
3年連続個人法形競技に入賞するなど、多くの実績を残す。1994年3月に大学卒業後、大学院
に進学し歯学博士を取得し、現在は東京都三鷹市で歯科医院を開業している。その常に最善、
最高を求める治療姿勢から評判が評判を呼び、単に地域医療に貢献するのみならず日本の
歯科医療を開業医レベルから底上げしている。その求道的な姿勢は躰道に対しても変わらず、
躰道部では指導力あふれるコーチとして宮下、堀内、三枝らの逸材を育てた。現在はコーチを
退き指導補佐という形で部に関るとともに、2010年湯島道場事務局長に就任。未だ変わらぬ
パフォーマンスを誇っている。

 

1991 第25回全国学生大会 個人法形
団体展開
団体法形
3位
準優勝
3位
1992 第26回全国学生大会 個人法形
団体法形
準優勝
優勝
1993 第27回全国学生大会 個人法形 第3位
2001 第3回世界選手権大会 団体展開 5位

会計 飯村 祥子 初段 看護学専攻2007年卒業
2003年4月、東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻に入学すると共に、同大学
躰道部に入部する。入学時から類稀なる才能を発揮し、1年時の新人法形で見事3位に入賞した。
その後も全日本選手権、あるいは国際大会でも華々しい実績を残す。2007年3月に大学を卒業し、
看護師としても躰道で培った知力、体力を元に活躍し、日本の医療の充実に多大なる貢献をする。
長らく躰道界も彼女の復帰を待ち望んでいたが、ついに2010年湯島道場に所属し会計に就任。
躰道界に今まさに激震が走っている。

 

2003 第26回東京城北地区大会 新人法形 第3位
2004 第27回東京城北地区大会 級位法形 第3位
  第38回全日本選手権 団体展開 第3位
2005 第28回東京城北地区大会 団体展開 準優勝
  第6回国際親善大会 個人法形
団体法形
団体展開
第3位
第3位
準優勝
2006 第29回東京城北地区大会 団体法形
個人法形
第3位
第4位
2011 第7回神奈川県競技会 団体法形 準優勝
  第21回全国社会人躰道優勝大会 団体法形 準優勝

会計 江川 京子 弐段 看護学専攻2007年卒業
2003年4月、東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻に入学すると共に、同大学
躰道部に入部する。入学時からその運動神経には眼を見張るものがあり、一年時の新人法形で
見事優勝の栄冠に輝き、一躍学生躰道界で注目を浴びる存在となる。在学中は全日本選手権、
国際大会で数多くの金字塔を打ち立てた。2007年3月に大学を卒業し、船橋市躰道協会の己錬館
に所属。全国社会人大会で入賞、全日本選手権で優勝するなど、学生時代に比べての更なる
進化を存分にアピールした。また、看護師としても無論一流であり、単に臨床のみに留まらず
大学院に進学し看護学の深淵についての研究に余念がない。2010年、湯島道場に所属し会計に
就任。躰道において世界的な選手になるのが彼女の夢だという。

 

2003 第26回東京城北地区大会 新人法形 優勝
2004 第27回東京城北地区大会 級位法形 優勝
  第38回全日本選手権 団体展開 第3位
2005 第28回東京城北地区大会 個人実戦
団体実戦
団体展開
第3位
第3位
準優勝
  第6回国際親善大会 団体法形
団体展開
第3位
準優勝
2006 第29回東京城北地区大会 個人実戦
団体法形
個人法形
準優勝
第3位
優勝
2008 第42回全日本選手権 団体実戦 準優勝
2009 第19回全国社会人大会 個人法形 第3位
  第43回全日本選手権 団体実戦 優勝
2011 第7回神奈川県競技会 団体法形
団体展開
準優勝
優勝
  第21回全国社会人躰道優勝大会 個人法形
団体実戦
団体法形
第3位
優勝
準優勝
三枝 英敏 弐段 歯学科2004年卒業
1998年4月に東京医科歯科大学歯学部歯学科に入学すると共に、同大学躰道部に
入部する。2001年度、2002年度と躰道部主務を務め、2001年には第3回世界躰道選手権
出場、団体展開競技で日本一になるなど2001年度〜2003年度に多くの実績を残す。2004年
3月に同大学歯学部歯学科を卒業し、同大学大学院医歯学総合研究科口腔機能再構築学系
摂食機能保存学講座歯髄生物学分野へ進学。歯学界の寵児とうたわれ、歯科保存の世界では
彼を知らぬ者はいないとまで言われている。また、卒業後は躰道部ヘッドコーチ、仁雄会
副事務局長といった要職を歴任し、精力的な部員指導を行うとともに、2007年度から2008
年度にかけて再び多くの実績を残す。更なる飛躍を求め、2010年湯島道場に所属。

2001 第3回世界選手権大会 団体展開 5位
  第35回全国学生大会 団体展開
団体法形
3位
3位
  第35回全日本選手権 団体展開
団体法形
優勝
6位
2002 第26回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
準優勝
3位
  第36回全国学生大会 団体展開
団体法形
準優勝
準優勝
  第36回全日本選手権 団体展開
団体法形
4位
6位
2003 第26回東京城北地区大会 団体実戦
団体展開
4位
準優勝
  第37回全国学生大会 団体展開 4位
  第37回全日本選手権 団体展開 第5位
2007 第4回神奈川県競技会 団体展開 準優勝
  第30回弘前さくら祭り協賛躰道優勝大会 団体展開 準優勝
2008  第19回東京城西地区躰道優勝大会 団体展開
団体法形
優勝
優勝

古山 貴基 弐段 医学科2006年卒業
2000年4月に東京医科歯科大学医学部医学科に入学すると共に、同大学躰道部に
入部する。2001年には第3回世界躰道選手権大会に日本代表として出場し、更に
団体展開競技で日本一になる。2003年度〜2004年度に躰道部主将を務める。2006年
3月に大学を卒業し、外科医として福島県をはじめ全国各地を行脚、多くの研鑽を
積んだ。現在の外科界でゴッドハンドと言えばまず始めに思い出されるのは彼である。
そして躰道界に再び旋風を巻き起こすべく、2010年満を持して湯島道場に所属。

 

2001 第24回東京城北地区大会 団体法形 準優勝
  第3回世界選手権大会 団体展開 5位
  第35回全国学生大会 団体展開
団体法形
3位
3位
  第35回全日本選手権 団体展開
団体法形
優勝
6位
2002 第25回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
準優勝
3位
  第36回全国学生大会 団体展開
団体法形
準優勝
準優勝
  第36回全日本選手権 団体展開
団体法形
4位
6位
2003 第26回東京城北地区大会 団体実戦
団体法形
団体展開
第4位
第3位
第2位
  第14回東京城西地区大会 団体実戦 4位
  第37回全国学生大会 団体法形
団体展開
4位
4位
  第37回全日本選手権 団体展開 第5位
2004 第27回東京城北地区大会 個人法形
団体実戦
第4位
準優勝

坪川 正樹 弐段 歯学科2009年卒業
2003年4月に東京医科歯科大学歯学部歯学科に入学し、同大学躰道部に入部する。
いきなり新人法形競技で準優勝の快挙を成し遂げ、初年度から躰道部で主要メンバー
として勇躍した。同年の全日本選手権で団体展開競技で決勝に進出するなど、栄光に
包まれた躰道生活が華々しく幕を開けたわけである。その後も優れた実績を積み重ね、
なんと2006年度、2007年度と2年に亘り伝統ある東京医科歯科大学躰道部の主将を務めた。
これは学生躰道界において最大の栄誉であると言え、同部の歴史において同様の経歴を
もつ者は、宮下などキラ星の如き人材である。卒業後は躰道界から一旦は離れるものの、
和歌山県において道場の門を叩き武者修行に励み、「和歌山の虎」と呼ばれたと言われる。
実力の維持向上には余念がなく、2010年湯島道場の設立とともに彼が所属したのも、何ら
不思議ではないであろう。

 

2003 第26回東京城北地区大会 新人法形 準優勝
  第37回全日本選手権 団体展開 第5位
2005 第28回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
優勝
優勝
2006 第29回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
第4位
第2位
2007 第30回東京城北地区大会 団体展開 準優勝

八木 太門 弐段 医学科2009年卒業
2003年4月に東京医科歯科大学医学部医学科に入学し、2004年に同大学躰道部に
入部する。2003年の1年間は、躰道という過酷な競技で戦っていくための基本的な体
作りに専念していたと彼は語る。その甲斐あり、1年の遅れを感じさせない素晴らしい
実技を身につけ、一躍学生躰道界を牽引する存在となった。2005年の国際親善大会
では多くの外国人選手が、彼こそがまさに東洋の神秘であると語ったのが記憶に新しい。
2009年3月に大学を卒業し医師として新たな生活をスタートしたものの、体が躰道の
動きを記憶。病院内での移動に無意識のうちに運足を用いてしまい、自身の躰道禁断
症状に気付く。まさに躰道の申し子であり、自らの内なる野望、欲望を乗り越え新たな
境地に到達すべく、2010年湯島道場に所属。

 

2005 第28回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
優勝
優勝
  第6回国際親善大会 団体展開 準優勝
2006 第29回東京城北地区大会 団体展開
団体実戦
優勝
準優勝

佐々木 真理 初段 医学科2009年卒業
2003年4月に東京医科歯科大学医学部医学科に入学し、同大学躰道部に入部する。
不断の努力とその長身を活かし、団体法形、団体展開などで活躍。全日本選手権では
どちらの種目においても入賞経験を持つ、オールラウンドプレーヤーである。勿論個人
競技においても存在感をみせ、特にその法形の流麗さは、多くの者を驚嘆せしめた。
2005年の国際大会においても2種目で入賞するという大活躍であり、日本女子選手の
まさに大黒柱であった。惜しまれつつ大学躰道部を2009年に卒業。卒業後は日本の
首都機能移転先の筆頭に挙げられていると言われるメトロポリタン蓮田市にて、医師
として非常に厳しい修練を積む。しかし市内を流れる元荒川、あるいは綾瀬川を眺めて
は自問自答したと彼女は述懐する。はたして自分はこうして躰道から離れてあるべき
なのかと。気付くと1年後彼女は再び湯島の地に足を向けていた。やはり自分のいるべき
ところは何処かと問われたとき、それは御茶ノ水の道場であると彼女は語る。2010年湯島
道場所属。

 

2004 第38回全日本選手権 団体展開 第3位
2005 第28回東京城北地区大会 団体展開 準優勝
  第6回国際親善大会 団体法形
団体展開
3位
準優勝
2006 第29回東京城北地区大会 団体展開
団体法形
団体実戦
優勝
第2位
第3位
2007 第41回全日本躰道選手権大会 団体法形 第3位
2011 第21回全国社会人躰道優勝大会 団体法形 準優勝

 

中西 一弘 初段 歯科技工士学校2010年卒業
歯科技工士学校からの躰道部入部は東京医科歯科大学初の出来事であり、学生
躰道界で一躍注目を浴びる存在となった。周囲からの徹底マークにあう中で、2007年
の東京城北地区躰道優勝大会では見事新人法形競技で優勝し、まさにトップスター
への階段を登り始めたのである。そしてその後も地区大会などで確実にその実力を
見せつけ、2008年には全国学生躰道優勝大会で準優勝し、「既に学生躰道界で学ぶ
ものはない」という衝撃的な発言を残したと言われる。学生のみならず全日本の
躰道界に戦慄が走ったわけであるが、彼はそんなことを意に介さず、黙々と求道
的に自己鍛錬を続けるのみであった。2009年度はそんな彼を徹底的に調べようと
目論んだ者が多く現れたのか、御茶ノ水の道場近辺で確認された不審者が有史
以降で最多にのぼったとされている。彼はこうも言っている。いくら研究され
ようとも関係ない。俺には誰も真似のできない技術、実力があるのだ、と。言葉
通りその年の全日本選手権でも入賞。観客はその動きをみてただ驚嘆するのみで
あった。2010年3月に卒業し、歯科技工士としても順風満帆な未来が彼を待って
いたが、やはり彼は日常に安穏としているのは性に合わない、常に戦いの中に
自分を置いておきたいと願って止まなかった。そして湯島道場設立の話を聞き、
ついに自分のいるべき場所を見つけたと感じたのである。

2007 第30回東京城北地区大会 新人法形 優勝
  第4回神奈川県競技会 級位実戦 優勝
2008 第31回東京城北地区大会 団体展開
級位実戦
優勝
準優勝
  第42回全国学生大会 団体法形 準優勝
2009 第43回全日本選手権 団体法形 第3位
2011 第34回東京城北地区躰道優勝大会 団体法形 準優勝
  第22回東京城西地区躰道優勝大会 団体実戦
団体法形
優勝
優勝
  第7回神奈川県競技会 団体法形
団体展開
優勝
優勝
  第21回全国社会人躰道優勝大会 団体法形 準優勝

隈 陽一郎 初段 歯学科2011年卒業
大分県出身の彼は、所謂九州男児を地で行く男であった。地元では大分の狂犬と呼ばれ、
地元で知らぬ者はいない存在であった彼だが、高校2年時に目標であった九州制覇を果たすと、
彼は目標を失ってしまった。もはや九州では喧嘩で彼にかなうものはおらず、伝説のまま
高校を卒業した彼ではあったが、自分を夢中にさせるものに出会わぬまま、2年の歳月が
流れたのである。その間彼は、来るべき自分を活かす時に備え、地元大分の祖母山で山籠り
の修行、また豊予海峡を自由形で1日523往復するなど、自らを研ぎ澄ます 荒行に全てを捧げた。
そのような日々の果てに、彼にある考えが天啓の如く閃いたのである。大分の狂犬である
自分が、東京でどれだけ通用するか試してみるのがいいではないかと。紆余曲折を経て彼は
2005年4月に東京医科歯科大学歯学部歯学科に入学すると共に、同大学躰道部に入部する。
そして彼は気づいたのである。自分がいかに井の中の蛙であったかを!! なんと、彼が全国に
存在すると信じて疑わなかったファミレスチェーン「ジョイフル」が、都心では全くといって
いいほど見当たらなかったのである。
彼は失意の中ひたすら躰道にその身を投じた。すると、やはりそこでも自らの狂犬たる能力が
如何なく発揮されることとなったのである。躰道部での伝説をここに書くと、それだけで上・
中・下巻を要する一大スペクタクルになってしまうため割愛させて頂くが、実績でいえば2008年
には全国学生躰道優勝大会にて団体法形競技準優勝、2009年には全日本躰道選手権大会にて
団体法形競技第3位となった。そしてチームの中心は常に彼であり、彼あってこそのチームで
あったのである。彼の素晴らしさはその能力の高さだけではない。彼は常に謙虚で、人を立てる
人間であった。そのため個人競技に出場してしまうと、その圧倒的な実力から、他の人が躰道を
やる気をなくしてしまう、彼はそう考えた。そのためその活躍を敢えて団体競技に留めたので
ある。
そんな彼も惜しまれつつ大学を卒業し、歯科医師としての修練を始めたのであるが、辿り着いた
先が偶然にも躰道の虎の穴と言われる和歌山県であった。かつて和歌山県は塩崎参段など多くの
有意な人材を輩出し、そこには多くの人材を奮い立たせる何かがあると思われるが、やはり
彼も例外ではなかった。田辺市の奇絶峡を見て、彼はかつて山籠りした故郷を想起したと言う。
そこは彼の中の野性をもう一度目覚めさせるのに十分な場所であったらしい。かくてまた湯島
道場に一人の素晴らしい人材が加わることになったのも、何ら不思議なことではないであろう。

 

2006 第29回東京城北地区大会 団体展開 優勝
2007 第30回東京城北地区大会 団体展開 準優勝
  第4回神奈川県競技会 団体展開 準優勝
2008 第30回弘前さくら祭り協賛躰道優勝大会 団体展開 準優勝
  第31回東京城北地区大会 団体展開 優勝
  第19回東京城西地区大会 団体展開 優勝
  第42回全国学生大会 団体法形 準優勝
2009 第43回全日本選手権 団体法形 第3位
2010 第33回東京城北地区大会 団体展開 第3位

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